軍刀とは?戦乱の時代、ニーズに応え誕生した新たな日本刀

2022年09月01日(木)

日本において軍刀という場合、明治時代以降、軍人が所持していた刀のことを指します。
帯刀する者が武士から軍人に変わりましたが、刀は武人の誇りとして、その存在意義に変わりはありませんでした。明治、大正、昭和と戦争があった時代、物資が乏しい中でも軍の要請に応え続けた軍刀は、江戸時代までのそれとは一線を画して誕生した新たな日本刀です。現代は法律によって所持が難しい現状ではありますが、軍刀は十分に日本刀としての優美さ、刀としての性能を備えた価値ある存在といえるでしょう。
ここでは、軍刀について、成り立ちや特徴、そして種類、さらに軍刀の所持に関する基礎知識を解説します。

軍刀とは兵仗や儀仗の役割持つ軍用の刀剣のこと

軍刀とは、文字通り軍用の刀剣のことです。大きくは、下記に挙げる士官(将校)用のものと、下士官や兵卒用のものの2種類があります。実戦の武器である兵仗としてはもちろん、部隊を指揮したり儀礼で使用したりする儀仗としての役割もありました。

士官用軍刀

士官は、正式な服装の一部として軍刀の所持が義務付けられていました。しかし、所持する軍刀の規定は、外装や材質に関するもののみだったため、ある程度自由な作刀が可能でした。明治初期は儀仗用としての認識が強かったのですが、時代を経て、軍刀の兵仗としての姿が求められるようになり変化していきます。

下士官用軍刀

下士官以下の場合、刀剣の着用は義務ではありません。軍刀は兵仗、つまり実戦用の武器として工廠で作刀され、官給品として支給されていました。

軍刀の成り立ち

明治政府の樹立後、富国強兵を国策として掲げた政府は国軍を創設。それと同時に、軍刀が整備されました。
明治8年(1876年)に士官(指揮官)の服制を規定し、刀剣(軍刀)を義務化したのです。陸軍はフランス式、海軍はイギリス式を模しており、どちらも士官が前線に出ることを想定せず、軍刀はあくまで指揮や儀式用の儀仗であり、身分を表す役割を担っていました。この頃の軍刀の形状はフェンシングのようなエペーや、片手握りのサーベル型です。

1876年(明治9年)、廃刀令(帯刀禁止令)が交付され、軍人や警察官などの例外を除き、一般人は刀を差して外出することが禁じられました。その影響もあり、日本刀作りは一気に衰微し、刀の材料となる鉄を製造する「たたら」までも閉鎖されてしまいます。しかし、西南戦争における抜刀隊の活躍が評価されたことや、両手持ちの操刀のほうが慣れていたこともあり、軍人からの日本刀らしい軍刀を求める声が強まります。そして、刀身はそれまでの打刀や太刀を利用し、拵をサーベル様式にした軍刀が生み出されました。
やがて、サーベル地金を使用した両手握りの「村田刀」が開発され、日清・日露戦争で使用されるなど、日本独自の製法技術を駆使した軍刀が活躍していきます。

昭和に入り陸海軍ともに、従来のサーベル様式から日本古来の太刀を模した外装が制定され、需要に合わせたさまざまな軍刀が開発されました。第二次世界大戦集結後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって軍刀は軍国主義の象徴とされ、良くない印象を植え付けられてしまいましたが、作刀に携わった人々が当時の最高技術をもって、一度衰微した日本刀を蘇らせたという事実に変わりはありません。

軍刀の外装

軍刀の外装は、サーベル型や太刀型などによって見た目が大きく異なります。

サーベル型

サーベルの最大の特徴は、護拳があることです。また、鞘は金属が使われているのも江戸時代までの刀とは異なります。明治の初期の軍刀はサーベルそのもので、片手で使用するため柄が短く、打刀や太刀の刀身を使おうとすると、茎を短く加工しなければなりません。そこで、後年には柄を長く両手持ちで扱えるようにしながら、護拳などのサーベルの特徴を持つ「サーベル軍刀」が誕生しました。

太刀型

昭和に入ると、古来の太刀をアレンジした軍刀が制作されました。鞘の部分に環をつけて、腰から吊り下げられるようにしています。

軍刀の性能

軍刀は、明治・大正・昭和と、戦争があった時代に製造された刀です。戦場で求められる性能は「耐久性」「切れ味」でした。折れ曲がりにくく錆びにくい、そして手入れのしやすさが求められました。戦場では、ろくに手入れが出来ない状況も有りえます。そのため、さまざまな材質が研究され、寒冷地でも使用できる軍刀も誕生しました。切れ味も、当然ながら重要な要素。古来の名刀に匹敵、または凌駕する刀も作られました。

軍刀の種類

軍刀は、上官用、下士官用、また陸軍や海軍によっても異なります。ここでは、代表的なもののみ紹介します。

村田刀

軍刀の草創期に誕生した工業刀。両手握りで扱いやすく、大量生産できるため比較的安価で、性能を統一することができた名品。切れ味や強靭さは古来の日本刀を凌駕したといわれる。刀身は日本刀のものでありながら、柄はサーベルと同じように護拳を備える。

三十二年式軍刀

明治32年(1899年)に、陸軍が制定した軍刀。東京砲兵工廠(のちの造兵廠)が製造し、外装は片手握りのサーベル型。刀身と金属の柄が頑丈で、金属製の鞘は、刀身が折れた場合にも武器として使えるようになっていた。

九段刀(靖国刀)

昭和8年(1933年)、靖国神社境内に設立された日本刀鍛錬会により作られた刀。通称「靖国刀」。日本刀復活を画策して靖国神社境内にたたら製鉄を置き、玉鋼を生産して作刀していた。

昭和九年制定陸軍制式軍刀(九四式軍刀)

昭和9年(1934年)に、太刀型軍刀として制定された刀。士官用と、下士官以下への官給品(九四式軍刀)とがある。サーベル軍刀の特徴であった護拳がなくなり、日本刀としての外装を取り戻した。

昭和十二年制定海軍制式軍刀(太刀型軍刀)

昭和12年(1937年)に海軍の士官用軍刀として制定された刀。海軍の場合、軍刀は儀仗用としての役割が強いため、外装が華麗であることが特徴。刀身には、塩害対策としてステンレスが用いられたものが多い。

造兵刀

陸軍造兵廠が開発し、兵器として作っていた刀。軍需拡大によって機械仕上げが可能となり、性能を規格化した量産刀。折れない頑丈さで、切れ味が悪くなっても武器として使用できた。

満鉄刀

南満州鉄道株式会社が鉄道部品の製造技術を活かして作った刀。量産品でありながら寒冷地にも強く、切れ味含め、その品質は非常に高かった。後に「興亜一心刀」と名付けられ、銘刻されるようになる。

振武刀

別名、「耐寒刀」とも呼ばれた刀。東北帝大金属材料研究所が耐寒軍刀として開発し、東洋刃物株式会社が製造した。古来の日本刀では折れてしまうような、シベリアなどの寒冷地でも耐えることができた。

群水刀

群馬水電株式会社が開発した「群水鋼」を用いて作られた刀。高品質の鋼を、人力による鍛錬ではなく、電解精錬という方法で製鋼している点が特徴。

古式半鍛錬刀

古来より刀剣の生産地として有名な、岐阜県関市で誕生した刀。岐阜県立金属試験場が開発し、その品質に関刃物工業組合認定のマークを打刻した高品質を誇る量産刀。手作りによる刀は生産効率が悪いため、鍛造にエアーハンマーを用いて半機械化に成功し、品質を保ちながら生産効率を飛躍的に向上させた。

耐錆鋼刀(陸軍)、不銹鋼刀(海軍)

刀身の素材にステンレス鋼を使用した、いわゆる「ステンレス刀」。とくに塩害対策として、海軍で愛用された。古来の日本刀の弱点はなによりも錆びやすいことにあるが、ステンレス刀はその弱点を克服した刀といえる。

昭和十八年制定陸軍制式軍刀(三式軍刀)

昭和18年(1943年)に制定された上官用の刀。戦局の悪化に伴い、外装は簡素化され、柄に漆を塗って強化しているのが特徴。三式軍刀は外装のほか刀身にも規定があり、検品して合格したものには、茎に五芒星が刻印されている。

軍刀の所持

現在、一般人が所持できる刀剣は、美術品や骨董品として認められ、銃砲刀剣類登録された刀のみですが、軍刀は銃砲刀剣類登録を受けにくく、遺品として大切に残したいとしても、所持することが難しいのが現状です。なぜなら、軍刀は銃砲刀剣類所持等取締法の規定から外れているためです。
銃砲刀剣類登録証が発行されない場合、刃を落として切れなくしたり、刀身を切断したりといった、刀としての機能を削ぎ落とせば所持は可能です。しかし、せっかくの刀剣にそのようなことはできないと考えるのも当然といえます。どうしても、そのままの姿で残したい場合は、寄贈しか道は残されていないのです。
しかし、中には銃砲刀剣類登録証が発行され、所持できる軍刀も存在します。

日本人の魂が宿るのは軍刀も同じ。軍刀の価値を再認識しよう

軍刀は明治維新以降、軍人たちが「日本人の誇り」として精神的な拠り所としていた刀です。さまざまな技術が投入されたものは品質も高く、すべての軍刀が粗悪品といったことはありませんでした。軍刀も、まさに日本人の手により心血を注いで作られた、まごうことなき日本刀です。

全国刀剣買取センターでは、日本刀、甲冑、武具などの買取を行っております。
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