短刀とは? 懐刀、守り刀とも呼ばれる隠れた名品について解説します

2023年01月25日(水)

短刀とは? 日本刀は、形や大きさの違いから8種類にわけられます。
中でも長さが短いものは「短刀」と呼ばれ、太刀や打刀とはまた違った役割を担ってきました。

ここでは、短刀について、用途や種類について解説します。

短刀とは

短刀とは、刀身の長さが1尺(約30.3cm)以下の日本刀のことです。短刀という呼び名は比較的最近できたもので、古くは「腰刀(こしがたな)」と呼ばれたり、太刀との呼び分けとして、単に「刀」と呼ばれたりしていました。反りの少ない平造(ひらづくり)のものが一般的です。
小型の日本刀といえば脇差がありますが、脇差は刃の長さが1尺超、2尺(約60.6cm)以下の日本刀を指します。また、脇差には鍔(つば)がありますが、短刀には基本的に鍔がないという違いもあります。

短刀の用途

短刀の用途 短刀の用途について紹介します。
鎌倉時代から室町時代にかけて、武器として用いられていた短刀ですが、やがて戦のない江戸時代になると、護身用の武器やお守りとして利用されるようになりました。

詳しく見ていきましょう。

戦場で武器として用いる

武器として短刀が用いられていたのは、鎌倉時代から室町時代にかけての頃といわれます。
当時の武士の戦には進め方にルールがあり、矢と太刀での交戦の後は、相手と1対1で組み合って争う「組み討ち」が行われていました。この組み討ちの際に、組み伏せた相手を鎧の隙間から刀で突き刺し、最終的には首を取っていました。このような用途であるため長さが不要で、自ずと短刀が重宝されたのでしょう。
室町時代後期から戦国時代になると、戦の仕方が個人戦から集団戦へと変わり、組み討ちが行われなくなっていきました。そのため、短刀が戦場で使われることは少なくなったといわれています。

護身用として用いる

江戸時代、武家の女性は護身用の「守り刀」として短刀を携帯することが、幕府から認められていました。これには、自分の身は自分で守るためと、いざという時は誇りを守って自害するためと、2つの意味があったといわれています。
明治になりこのような習慣はなくなったものの、護身用の守り刀「懐剣(かいけん)」が、一般的な花嫁和装小物のひとつとして用いられるようになりました。

お守り(護符)として用いる

武家では古くから、子供が生まれたときや娘を嫁に出すときに、災いや邪悪なものから身を守るためのお守りとして、短刀を「守り刀」として贈る風習がありました。明治時代に入って廃刀令が施行されたことで、このような風習は徐々に廃れていきましたが、皇室では現在も、皇族に新しく生まれた子供に天皇陛下から短刀を授ける「賜剣の儀(しけんのぎ)」という儀式が行われています。
賜剣の儀は、すでに平安時代には行われていたとされ、子供が生まれると最初に行われる重要な儀式です。生まれた当日または翌日に、子供の健やかな成長を願う思いを込めて、天皇陛下から守り刀が贈られます。贈られる守り刀は、人間国宝や無鑑査刀匠など、トップクラスの刀匠が制作にあたります。
刀は白鞘に収められ、赤い絹の布で包んで皇室の紋が入った桐箱に収まった状態で天皇の勅使によって届けられ、生まれた子供の枕元に置かれるのが慣例です。

このほか守り刀は、大切な人が亡くなったときに、その胸元や枕元に置くこともあります。その理由は諸説ありますが、仏教的には死者がこの世からあの世へ渡る道中のお守り、俗習としては、死者を魔物から守る魔よけや、死者の穢れを生者に移さないといった意味があると考えられています。

短刀の種類

短刀の種類 一口に短刀といっても、形状や拵によっていくつかの種類に分かれています。
主なものについてご紹介しましょう。

合口、匕首(あいくち、ひしゅ)

合口や匕首とは、鍔のない短い刀のことを指しますので、短刀の別名ともいえます。柄と鞘の口がぴったり合うように作られていることから「合口」と呼ばれるようになりました。「匕首」は中国語で「短刀」を表す言葉ですが、日本ではこちらも「あいくち」と読み、合口と同じものを指します。ただし、中国語の「匕首」は、日本の合口、匕首とは定義や形状が異なります。

寸延短刀(すんのびたんとう)

寸延短刀は反りが少なく平造の刀身形状であるなど短刀の特徴を備えている刀で、刀身の長さが1尺(約30.3cm)を超えるものを指します。短刀は本来、刀身の長さが1尺以下の日本刀のことですが、寸延短刀に該当するものは、例外的に短刀に分類されます。南北朝時代に登場し、室町時代末期~江戸時代初期に盛んに作られた刀です。

鎧通し(よろいどおし)

鎧通しとは、組み討ちで甲冑を着た相手と戦う際に用いられた短刀です。組み伏せた相手を、鎧の隙間から刺すのに使われました。逆手に持って使用するため、刀身は9寸5分(約28.8cm)以下と短め。組み討ちの際に使いやすいように、馬手(めて:右手のこと)側に柄を後ろにして差したので「馬手差し(めてざし)」とも呼ばれます。手元部分の刃が分厚くて反りがなく、先が薄いのが特徴です。

刺刀(さすが)

刺刀とは鎌倉時代に、騎馬武者に従って徒歩で戦う下級武士たちのあいだで流行した短刀のことです。
当時、騎乗しない下級武士たちの主力武器は薙刀でしたが、これを失ったときや、乱戦になって柄の長い薙刀が使えなくなったときの武器として、補助的に使われた短刀が刺刀です。鎌倉時代末期から南北朝時代に、太刀に比べて刀身の幅が広く、長さも長くなった大太刀が流行すると、その変化を受けて刺刀も大型化。打刀へと発展していったと考えられています。

懐剣、懐刀(かいけん/ふところがたな)

懐剣、懐刀とは護身用として、常に懐に入れて持ち歩く短刀のことです。武家の女性の護身用武器であり、武家男性にとっても長寸の日本刀を携行できない場所での護身用武器として、重要なものとされていました。懐に入れやすいよう、外装はできる限りシンプルにするのが一般的で、拵の特徴としては、組紐を巻いたり鍔を付けたりせず、実用性重視で作られていることが挙げられます。
隠剣(おんけん)、隠し刀(かくしがたな)、守り刀(まもりがたな)などとも呼ばれます。

殿中差し(でんちゅうざし)

大名などの上流武家が、正装して殿中(江戸城内)に赴く際に身につける刀。正装で登城する際は、通常の刀を差すことはできず、殿中で争う意思がないことを示すために殿中差しを差しました。柄には組糸が巻かれ、鍔のついた短刀で、小さ刀(ちいさがたな)とも呼ばれます。
「忠臣蔵」で有名な、江戸城内で浅野内匠頭が旗本の吉良上野介を切りつけた際に使われたのも、この刀です。殿中で刀を抜くことは厳禁とされていましたが、江戸時代のあいだにこの赤穂事件を含めて、7件の刃傷沙汰があったと伝えられています。

古くからお守りとしての役割もあった親しみやすい存在

短刀は、戦での武器にとどまらず、護身用の武器やお守りとしても使われてきたものです。皇室で「賜剣の儀」が行われていたり、守り刀が一般的な花嫁和装小物のひとつとなっていたりと、その文化や慣習は、しっかり現代にもつながっています。
有名な戦国武将所用の短刀も数多く残っており、目にする機会も多いことから、親しみやすい存在といえるのではないでしょうか。

全国刀剣買取センターでは、日本刀、甲冑、武具などの買取も行っております。
短刀をはじめとする武具についてご不明点がございましたら、お気軽に全国刀剣買取センターまでお問い合わせくださいませ。



お問い合わせ

全国刀剣買取センターの主要コンテンツ一覧

  • 出張買取について
  • 宅配買取について
  • 持込買取について
  • お客様アンケート

  • 高く売る秘訣

  • 当社が選ばれる理由

  |